【女性の護身術教室】のプログラムを追加しました!
激烈お久しぶりの投稿になっちゃいました!なんと10年ぶり…笑
先の投稿から今までの間は、主に法人様へのメンタルヘルス講座やコミュニケーション講座、DV被害者支援やマンガ出演(!?)などで忙しくしておりまして、HPやブログのメンテなどは全くオザナリになっておりました。。笑
今後はまた少しずつ記事もアップしていきたいと思っております(たぶん…きっと)!
というわけでサッソク本題にいかせていただきます。
弊カウンセリングルームのHPでもお知らせしておりますとおり、この度、DV被害者支援・DV予防活動の一環として、女性のエンパワーメント を目的とした護身術教室のプログラムを追加しました!
ワタクシ格闘の教室は長年主催しているのですが、この度女性特化型の教室を始めることになった次第です。
今回はメインのHPでは書ききれなかったことを以下に書いてみようと思います。
一部弊ルームのHP記事と重なる内容となります。
ご興味のある方はぜひご覧くださいまし!
~護身術教室(女性限定)@Maze の実施スタイルについて~
脅威が目の前に現れたとき、呑み込まれるか制御できるかは一瞬で決まります。1ラウンド3分もあるような世界ではありません。
そのわずかな一瞬を生き抜くためのトレーニングを行います。
現状、女性が被害者となるほぼ全ての暴力事案において、加害者は男性となっています。
女性が男性からの暴力に晒されるリスクがある場合は特に、
『一般的な格闘技能よりも、より素早く効果的に相手にダメージを与えられる格闘技能』が必要です。
そのため弊教室では自分より力の強い対象からの離脱、あるいは制圧を現場で容易に行えるよう近接格闘を軸に、原則として男性(弊教室トレーナー)を相手にしたトレーニングを行っています。

※画像はイメージです
ちなみに、よくネット上などで『女性が護身術を習っても意味がない』という言葉を目にすることがありますが、現実では全くそんなことはありません。めちゃめちゃ意味あります!笑
では、どうしてこういった言葉を目にするのでしょうか。
その答えを端的に表現するとしたら『ミスマッチ』という言葉で表現出来ると私は思っています。
何がどうミスマッチなのか?
今回はこれについてだらだら書いてみたいと思います笑
私の指導経験上ですが、『自分に合った』技術と知識をきちんと身につけた方は、実際の脅威に対してしっかり反応・対抗し、護りたいものを護ることができています。このことについて男女共に差はありません。
しかし一方で、練習中にどうしても特定の動きに『苦手感』を強く感じ続けるような場合があります。
その場合、多くのケースでは、当人の技能不足であるとして、ひたすらその苦手な技術ばかりを練習したりします。
しかし、実は当人の技能不足が『苦手感』の理由なのではなく、練習しているその技術のほうがその人に適していない可能性があるのです。
(ただし『若干苦手』、『頑張れば出来る感じがする』、とかの苦手レベルなら、努力して乗り越えた方が良いのは間違いありません)

そういった場合(出来る気がしないレベルの苦手感の場合)には本来、指導者側がそれに気づき、すぐに技術の方を最適なものへ変更する必要があるのですが、多くのケースではなかなかそうはなりません。
(ちなみにこれはあくまでもルール無しの護身術の場合の話です。スポーツ格闘技の場合はルールとの兼ね合いがあるため技術を変更できない場合が多いです。)
なぜなら「他の人は出来てるのに当人が出来ないのは技能不足、努力不足なのだ」という強い思い込みがあるため、技術の方が合ってないということに誰も気づくことが出来ないためです。
当人の体格・性格・ライフスタイルなどに適さない技術をひたすら練習してしまった、あるいはさせてしまった場合に起こりうること。
それが『練習した護身術が現実では役に立たない』という事象です。

つまり、一生懸命練習している技術が自分の特性とかけ離れた技術であった場合には、役に立つレベルでそれを身につけることにはかなりの困難が伴う、ということです。
しかも苦労して身につけたと思ったその技術がイザというときにうまく効果が出なかったりしてしまうのです。(水の呼吸をうまく使いこなせない炭治郎に似てるかもです)
これは指導者側、生徒側、共に見逃しやすく、しかも護身術においては文字通り致命的な問題です。
こうした現象、つまり『自分の特性に合っていない技術をひたすら練習してしまう』という現象は、護身術を学ぶ多くの人に起きているのかもしれません。
そして、この時感じた『悔しさ』『無力感』を解消できずに引きずっている人が想像以上に多いため、そういった『女性が護身術を習っても意味がない』という言葉を他人へ投げ掛けてしまう人が散見されるのかもしれません。
(ちなみにこの現象が起きるのも男女問わず同じです。女性に限った話ではありませんので、『女性が』という枕詞は、どんなもっともらしい理由がついていたとしても、単純に『偏見』であると個人的には感じています。実際自分より身体が大きくて体重も自分より2~30キロ重い男性をひとりで制圧する女性はザラにいます)。

ではせっかくのブログなのでもう少し掘り下げて、、
なぜ『自分の特性に合っていない技術をひたすら練習してしまう』という現象が起きるのでしょうか。
この現象は、先に書きました、「当人の技能不足である」という誤認から発生してくる場合が多いのですが、なぜそういった誤認をするのか。
それは、「困難なハードルを乗り越えれば大きな収穫が望めるはずだ」という社会構造全体の誤認をトレーニングの分野にまで引きずってきている可能性が高いと思われます。いわゆる努力至上主義的なアレです。
この『自分の特性に合っていない技術をひたすら練習してしまう』という現象には、現代人の抱える根深い心理的な問題(強迫的な思考パターン)が潜んでいるのかもしれません。

「ピラミッドを作った方法が未だに謎とされている」のは、「解けないのはなぜなのかを解こうとしないから」だと言う人がいます。
これはつまり、『困難を乗り越えるために取り組むべきは、方法ではなく前提の方である』ということです。
多くの場合、困難に対しては「どうやって乗り越えるか」を条件反射的に考えてしまうのが現代人の人情です。
しかしおそらくは「どうして困難と感じるのか」を考えた方が、より適切で有益な解答に近づけることが多いのかもしれません。
少し話が逸れましたので元に戻します。

実際この『自分の特性に合っていない技術をひたすら練習してしまう』という現象は、『度の合わないメガネをかけて外を歩く』のとよく似ています。
どんなに素晴らしい優れた技術や知識であったとしても、自分に合っていなければイザというとき役に立ってはくれないのです。
こうしたことから、護身術のような、スポーツとは異なる、ルール無用の場面でのみ使用する技能のトレーニングにおいては、その方の『特性』を見極め、多くの技術の中からそれぞれの特性に合った技術や知識をピックアップし、マッチングさせるのがとても大切になってきます。
弊教室ではこのような『人と技能の適性マッチング』をとても重要視しています。
このマッチングにはある程度の期間がかかりますし、期間の長さには個人差もあります。技能の習得には当人の努力ももちろん必要です。
弊教室ではそういった部分をじっくり丁寧に支援していきます。
具体的にご本人から『どういった脅威に対応したいのか』を丁寧にヒアリングし、その対応に見合った強度の技能を習得できるようにトレーニングしていきます。

『護身術習ったことあるけど全然身に付かなかった…』『力の強さじゃ男性にかなわないよ…』『格闘興味あるけどなんか怖そう…』という方にはぜひ!
諦めなくても全然大丈夫ですよ☆
ぜひ自信をもってトレーニングに臨んでみてくださいね。
ともあれ、痛かったり怖かったりということは全然ありませんので安心してください。
楽しくトレーニングでき、元気になれる、かも!

教室へのご参加お申し込みは、以下HPリンク先よりお願いいたします。
◆HPリンク↓
皆さまのご参加をお待ちしております!
長期に及ぶ支配型暴力で受けるダメージ
皆さん、こんにちは(*゚▽゚)ノ
いや〜、もう7月ですか。。
「うなぎ食べたい!でも高くて食べられない。。ウォー 」
という葛藤を、スーパーの鮮魚売り場で毎日のように繰り広げるアラフォー男とは僕のことです…(丿 ̄ο ̄)丿
さてさて、
またもや大変お久しぶりとなってしまったブログの更新ですが、今回は、以前にDV被害者支援で日頃から大変お世話になっている会社様向けに寄稿記事として書かせて頂いたものの中から抜粋して、ご紹介しようと思います。
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長期に及ぶDV被害や性的虐待などの「支配型の暴力」を受けてしまった被害者の方にほぼ共通しているのは、
「自分自身に対する極端な無価値観」があるといえます。•自分には守られる価値などない
•暴力を受けてしまったのは自分に落ち度があったから
•自分が不当な扱いを受けているのに気づいていない
代表的なのがこの3つの認知です。
この場合は周りがいくら避難を勧めても、ご本人自身が強烈な共依存状態に陥ってしまっておられるために、避難という選択肢をご本人自身で排除されてしまいます。
この場合には身の安全を確保すると同時に、専門家による時間をかけた適切な心理的サポートが必要不可欠です。
僕の扱った過去の事例です。(プライバシー保護の理由から、一部内容を変えています)
小学校低学年から義父による性的暴行を繰り返し受け、16歳で家出をした方がおられました。
母親は彼女を庇うどころか、彼女に嫉妬し、彼女を激しくいじめていたようです。
でも彼女は僕に言うのです。
「置いてきたママが心配だ」と。
さらに義父については、
「嫌いじゃないよ。ただなんであんなことするのか謎だから一回聞いてみたいけどね。」
と言うのです。
完全な共依存の状態にありました。
いつ彼女が、自ら進んで地獄のような家庭に戻ってしまってもおかしくない状況でした。彼女は極度の不眠と恋愛依存、薬物依存に苦しんでおられました。
何度も依存のスパイラルに飲み込まれ、「あたしの死ぬところをよくみておけ」と自殺未遂を繰り返しました。
時間はかかりました。
しかし、苦しみ、絶望を繰り返しながらも、彼女は根気強くカウンセリングを受けられ、彼女自身の考え方のクセや人間関係の構築の仕方等を一緒に考えていくことができました。後に彼女は自分の力で両親との関係や過去に自分の置かれていた状況を認知しなおし、自分の存在の否定から脱出することができました。
彼女は、不当に矮小化されてしまっていた「尊厳」を、彼女自身の手で取り戻したのです。
現在は歯医者さんの受付で立派に働いておられます。
彼女の笑顔は本当に素敵です。
僕は、彼女の「尊厳」を取り戻すお手伝いをさせていただけたことを本当に誇りに思います。
皆さんには、皆さんだけにしかない「尊厳」があります。
不安定で信用ならない世の中でも間違いなく、この「尊厳」だけは変わらずに存在するのです。
どうか僕たちに、暴力を受けたことで見失ってしまった大切な「尊厳」を取り戻すお手伝いをさせてください。
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この記事を書いたのはほぼ一年くらい前になります。
記事はカウンセリング事案ですが、それ以降に私が関わったDV被害者の避難事案の事例を含めて考えても、「どうしてこんな快活な女性がDV被害に?」と思うことが大変多いです。
私たちはステレオタイプ的に、「DV被害に遭う女性は内気で依存的なタイプ」と考えがちですが、現実は全くそんなことはなく、「快活でハキハキとモノを言うタイプ」であっても、「面倒見が良くて仕事上リーダーシップが取れるタイプ」であっても、DV被害に遭ってしまう可能性は変わらないように思います。
そして、DVが与えるダメージは、たとえ外からの見え方は違っていても、それぞれの方に心身ともに深い傷を負わせてしまっています。
今年はいわゆるDV法やストーカー規制法などの改正、ハーグ条約関連法の成立など、DV被害者支援にまつわる法律周りに多くの動きがありました。
これによって、今後、支援にまつわるメリット、あるいはデメリット、様々でてくると思います。
自分が抱いていた一年前のこの思いを、今年、そしてさらにその先へと、なんとか繋いでいければと思う初夏でした。
DVと貧困
またもやお久しぶりの更新になってしまいました。。
最近HPからブログ欄をこちらのページにお引っ越しさせようとチャレンジ中です(*゚▽゚)ノ
新しい記事は当面コチラのページに書いていこうと思っとります!
最近、DV対応や被害女性に対するカウンセリングなどを通して日々痛感すること、それは「DVと貧困は密接に絡み合っている」ということです。
貧困というと一般的には『派遣切りに遭い、住む場所を失う』『借金に追われ、住む場所を失う』などホームレス問題を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。以前の私もそうでした。
いわゆる、『明らかで目に見える貧困』という形での認識しかなく、何となく別世界の出来事のように感じることが多かったように思います。
しかし世界の中での日本の貧困率は、実はものすごく高いのです。
例えば日本のひとり親世帯の貧困率はOECD29カ国の中で最も高く、なんと約6割が貧困状態にあるとされています。
日本のひとり親世帯は、他のOECD加盟国のひとり親世帯に比べ就労率は約8割と非常に高いにもかかわらず、例えば母子世帯の年間就労収入はわずか平均171万円(児童扶養手当を足した総収入で213万円)という厳しさの中にいるのです。いわゆるワーキングプアの状態がひとり親世帯を貧困の網に絡めとらせているのだということです。
ちなみに上記のOECD定義の貧困率は「税引後かつ社会保障給付金を加えた後の手取り収入」をベースに算出したものであり、政府が所得の再分配を行った結果の数字です。
実はOECD加盟の国の中で日本は唯一政府による再分配後の貧困率の方が再分配前の貧困率より高くなっているのです。
つまり、極端な話日本では、『貧困でなかった世帯』が政府が関わることによって『貧困世帯』に転落してしまうという絶望的な現象が起こってしまっているのです。
これは、ひとり親世帯に対する福祉サービスや現金給付等の社会保障給付における再分配機能が完全に損なわれているという証だと考えられます。
ひとり親世帯の貧困は、つまりは『こどもの貧困』ということにもつながっていきます。
低所得状態によってもたらされる「経済的窮迫感」は保護者の抑うつや不安、怒り、孤独感等を増加させます。
貧困や低収入とメンタルヘルスの問題がつながっていることは米国では以前から多くの研究で指摘されてきました。
このような抑うつ感は夫婦間の葛藤や暴力、親が子供に虐待する問題に大きな影響を与えています。
また、上記のような再分配機能が損なわれている状態の日本のひとり親たちは家事、育児、労働を誰の助けも無しにこなしていかなければならず、育児上のストレスは計り知れません。
そんな中で母子家庭のワーキングプア状態は深刻であるため、経済的安定をもたらす男性の存在は大変魅力的になってしまい、結果として同居を始めた男性から自らがDVを受けても、こどもが虐待を受けても、母親たちは加害男性と別れることをためらってしまいます。
そして長年にわたるDVの悪循環にはまり込んでいくのです。
確かに私の育った家庭もこの貧困とDVのスパイラルにはまり込んだ『雛形』の様な家庭でした。
母親は経済的な不安から暴力を振るう父親と別れることができず、子どもである私たちも長年の虐待に遭い、その後家計も暮らしも悪化の一途を辿っていき、暴力もどんどんひどくなり。。
あ、ウチって『貧困』だったのか(いまさら)。。
うむむ。。
昔から私たちが知識として認識してきた『貧困』と現在実際に私たちの周りで進行している『貧困』は明らかに質が違います。
現在私たちの周りで進行している現実の『貧困』は『豊かさの中での貧困』です。
そして『豊かさの中での貧困』は高度成長期以前までに存在していた『貧困』の様に当事者の誰もがただがむしゃらに頑張れば脱出できるような単純な類いのものではありません。
孤独や抑うつ、虐待や暴力に計り知れない影響を与え、喰らいついたら離れない怪物のような『豊かさの中での貧困』に日々臨床で向き合う者にとって、大変な危機感を感じるこの頃なのでした。
〜データ出典〜
『子どもの貧困問題と向き合う』山野良一
問題解決は鬱の回復に必要なのか? その1
企業のメンタルヘルス研修や、さまざまな読みものでは「鬱はカゼのようなもの」という言葉をよく聞きます。
この言葉が意味することは、「鬱は決して特殊な病気ではなく、誰もが鬱になる可能性があるんです」、ということと、「だから偏見は持たないでほしい」という切な願いがこめられています。
まったくもってそのとおりなのです。
なのですが、しかし、しかし(。・ω・)ノ゙
鬱の「回復」においては、カゼと決定的に違うことがあります。
カゼは原因となるウィルスを抗生物質で叩けば、自然に治っていきます。
でも鬱は、「原因を解決したからといって回復するわけではない」ということです。
鬱になる原因は、その人それぞれに実に様々な原因があります。
まさに十人十色です。
ある人は「職場の責任の変化や人間関係が原因で・・・」
といったり、
ある人は「家族関係が・・・」といったり、
ある人は「失恋が・・・」といったり
(こういった本人からの訴えを「愁訴」といったりします。)
でも、はっきりいってそれら原因を取り除く、または解決することが鬱の回復を促すことには決してなりません。
自分自身、鬱の時代、いろんな精神科、心療内科、カウンセラーのところへ、それはもうホントに死ぬ思いで通っていました。
でも、ちっとも良くなりませんでした。
むしろ、通えば通うほどつらくなる。
薬を飲めば飲むほど具合悪くなる。
もう自分が自分じゃなくなる感じです。
まあ、それでも薬のおかげで睡眠についてだけは継続して取れていましたが( ̄ー ̄;
⇒その2へつづく。。
問題解決は鬱の回復に必要なのか? その2
多くの精神科医、カウンセラーが取る態度、それは「診断的態度」です。
(診断的態度については、「ポーターの5つの態度」というキーワードでググってみてください)
今思えばその「診断的態度」で「問題解決しようとされること」こそが回復への道を閉ざすものでした。
誰もが困った人に対しては手を差し伸べたいと思うと思います。
ですから困っている人に対して、あれこれ良いアドバイスをしようと必死になります。
家族も、恋人も、上司も同僚も、お医者さんも、多くのカウンセラーも。
すべてはその困っている人を大切に思うからこそ、なのです。
(もちろん鬱になっている人はそれを十分理解しています。)
でも、その困っている人は本当にアドバイスなんかほしいんでしょうか?
問題解決したら鬱って治るんでしょうか?
鬱になる人は、責任感が強い人が多い、とよく言われますよね?
その人なりに社会の荒波を乗り越えて来た実績があることがほとんどです。
その人なりの「生き方」を強く持っています。
そういった人たちに今更「問題解決へのアドバイス」をしたところで
すでに本人が思案し尽くしてしまっています。
でも、そのひとはどこかでポキッと折れてしまった
または
どこかでパチッとスイッチが切れてしまった。
立ち上がろうとしても、立ち上がれなくなってしまったのです。
どうして??
「だれも自分の気持ちをちゃんと聴いてくれない」から。
⇒⇒次に続く
気持ちを聞くということ
じゃぁ、クライアントは気持ちをちゃんと聞いてもらえれば、鬱から回復するのか?
はっきり言って、
回復します。
ここで「そんな簡単なことで治る訳ないじゃん」
と思った人は、致命的な勘違いをしていらっしゃいます。
「ちゃんと聞く」って、ものすごく難しいのです。
ホントは簡単じゃないんです。
目の前の人が話しているとき、その人が矛盾したことを言ったら
指摘したくはなりませんか?
その人の話の中で、「そんなことしたらダメ」って言いたくはなりませんか?
誰もが人の話に自分の主義、主張、意見、見解、分析、診断を挟まずにはいられないのです。
もっと言えば、結局誰も、悩んでいる人の目線でものを見ることをしてくれてはいないのです。
人は会話の中で「出来事」つまり「事柄」にばかりフォーカスし、反応します。
「結果」や「プロセス」、「環境」、「傾向」、つまり「事柄」。
これにフォーカスされてしまうこと。
これって、これまでホントに必死で生きてきた鬱の人にとって一番辛いことなのです。
何しろ、自分の「気持ち」を誰も理解しようとはしてくれず、「やったこと」「やれなかったこと」「自分の性格」「自分の傾向」「自分の環境」ばかりに対して
「ああしたら」「ああしなかったから」といわれるのは
たまったもんじゃありません。
死にたくなって当然です。
そもそもそんなこと、鬱になるずっと前から自分自身で一番闘ってきたことばっかりなのですから。
でも、ある時期から突然闘う力が出てこなくなってしまった。。。
というか、すっごく寂しく、むなしくなっちゃった。。。
援助者においてもっとも大切なのは
「今目の前にいる人の気持ちそのもの全部」を受け止め、
そのままお返しすることなのです。
⇒続く(´ω`)
僕はいかにして鬱を脱出したのか? その1
精神科や心療内科に通っては新しい薬を処方され、
飲めば飲むほど吐き気、眠気、だるさ、はじめ、
なんだか自分が自分じゃなくなっていく感覚と格闘し・・・
カウンセリングに通っては
「あなたはAC(アダルトチルドレン)傾向が強いわね」
「あなたは依存的傾向が強いわね」と様々分析され
「じゃぁこれ読んでみましょう」とグループワークで使う分厚い冊子を手渡され
「次までこれ読んできて」と果てしない宿題を出される。。。
文字なんか読む気力ねーっつーの(/-(エ)-\)
ツラカッタ。。。
結局、会社でODしてぶっ倒れましたw
挙げ句の果てには運び込まれた会社の保健室で、常駐看護士から
「鬱?あなたもっとしっかりしなきゃダメよ!」
「鬱なんてクスリでちゃんと治るから大丈夫よ!」
・・・はぁ?
マジでこいつ殺して俺も死のうかと思った。
いや、マジで。
後でその人の経歴見てみたけど、看護士+心理相談員だそうです。
世の中の資格なんて、まったく当てにならないことを痛感しました。
⇒続くヽ(ヽ´Д`)